4月2015

下地イサム

LATEST NEWS

やる気スイッチが...その2

最近NHKのニュース番組で、やる気のない人が増えているという

特集をやっていました。

仕事への気力がまったくわかなくて、会社に行きたくない、

会社を辞めてしまう、就職をしない、何もしないで引きこもる、

など、社会にそう言う人たちが増えつつあるというのです。

 

実は僕も会社勤めをしていた頃、どうしてもやる気が出なくて、

毎日精神的にかなりしんどい思いをしていた時期がありました。

しんどい時は、誰にどんなアドバイスをもらっても正直しんどいです。

好きなことをしてストレスを発散させて、気持ちをリフレッシュしたら?

などとアドバイスをもらったりもしましたが、

どうせ仕事に戻らないといけないということが常に頭の片隅にあるので、

リフレッシュのためにやることが、

もうすでにリフレッシュとしての機能を失っていました。

それでも本だけは読んでいたので、自己啓発の本を買いあさったりもしましたが、

(少しは心を動かされることもありましたが)どれも決め手に欠くものばかりでした。

 

そんなとき、学生の頃アルバイトをしていた職場の先輩と久しぶりに会うことになり、

二人で飲みに行きました。

僕が、どうしてもやる気が出ない自分の現状を話すと、

先輩はじっと最後まで話を聞き終えてからこう言いました。

「立ち向かうか、かわしながら向かうか、逃げるか、多分この三つしかないと思うよ。

もうどうしようもない場合は逃げてもいいと思うけど、

下地は逃げる性格ではないと思う。上手にかわせるタイプでもないから、

仕事辞めたら?」

「えっ?...意味がわかりません。逃げないのに会社を辞めるんですか?」

「まあね、生き方として言っているだけだから。向かっているから辞める人もいれば、

辞めないのに逃げている人もいるよ。下地なら自分で考えてうまくやっていけるんじゃない?」

確かそのぐらいの短い言葉でした。

それを聞いた瞬間は、今ひとつピンと来ませんでしたが、

後になってその言葉は、じわじわと僕の中に入っていきました。

今まで聞いたどんな励ましの言葉よりも力強く、まったく新しい追い風のように、

僕の背中を押してくれることになったのです。

会社を辞めるということは必ずしも逃げるということではない。

会社を辞めないということが立ち向かうということでもない。それは生き方。

自分に向上心があって、将来こうなっていたいという姿が想像できて、

そこに向かってやり甲斐を持って生きていくための仕事をしたい。

でも残念ながら今の仕事にそれが見い出せないのなら、思い切って転職してもいい。

という意味であり、

また逆に、今の仕事を辞めないとするなら、上手にリフレッシュするなり、

仕事以外に好きなものを見つけるなりして、その好きなものを満喫するために

仕事をがんばる、我慢もする、とにかくうまくかわしながら向かっていけばいい、

という意味でもあり、

はたまた、真っ正面から立ち向かっていって、組織の上層部まで上り詰め、

会社の構造や組織風土や待遇などを自分の力で変えればいい、

という意味でもある。

自分の生き方は自分だけが決められる大きな権利。

それは義務でも何でもない、自分で選べるんだよ。と、

あの短い言葉が示唆した意味は、目から鱗が落ちるように、

新鮮な驚きと納得で、僕の心を奮い立たせたのです。

 

その後僕は、アルバイトを含む七つの仕事を転々と渡り歩きながら、

28歳で大学の夜間に通い、こうして今の仕事にたどり着きました。

回り道をしながらも、天職だと思える世界にたどり着けたのは、

あの時の先輩の言葉によって、転職という一歩を踏み出す勇気が

生まれたからだと思っています。

「忍耐力がない」「飽きっぽい」

僕の経歴は社会的にはそういう評価にしかならないかもしれません。

確かにそういう面も持ち合わせています(笑)。間違いではありません。

お世話になった会社に迷惑もかけてきました。それも事実です。

しかし、その後の僕は、自分が会社組織に在籍している間は、

全身全霊で仕事をしていました。一生懸命仕事をしながら、

自分の行くべき道を模索し、その結果転職という道を選択したのです。

先輩が言うところの「立ち向かう生き方」を、

あくまで自分なりにということですが、

たどり着ける場所まで一貫してやり通してきた結果だと思っています。

 

今やる気をなくして落ち込んだり、もがき苦しんだりしている人たちに言いたいです。

同じように無気力のどん底にいた僕でもそうやって変われたのです。

大丈夫です。ときに逃げることがあったとしても、

かわすことがあったとしても、何かに向かいたいと思う自分を見失わない限り、

その時は必ず訪れます。

やる気スイッチが...

突然ですが、僕は「二日酔い恐怖症」です。

飲み過ぎた日の翌日は、決まってまったくやる気が出ないのです。

というより、もう何もしたくない、誰とも会いたくない、

というような状態に陥ってしまいます。

完全にスイッチOFFです。

肝臓君が分解に限界を感じて、最高レベルの報復措置に出ている

のかもしれません。具合が悪すぎるのです。

ま、一にも二にもそこまで飲んでしまう自分が悪いんですけどね。

もともと酒はあまり飲めないタチですが、楽しい雰囲気だとついついグラスを

口に運んでしまいますね。そして翌日ボロ雑巾です(笑)。

「だから言ったでしょう」(アシバアンターマナ)というあの歌詞は、

実は自分自身に向けられているのです。

なので、最近は飲み過ぎないように心がけています。

 

それにしても、翌日はテンションが下がるとわかっていながら、

あとはもう自制が利かない全開さで飲んでしまうという、

あの心境はいったいどこからくるのでしょう。

そしてその快楽時のON状態と翌日のOFF状態との差がありすぎて、

虚無的無気力の扉が開くようなあの感覚はどこからくるのでしょう。

人間いつ死ぬかわからないから今を100%楽しもうなどと言いますが、

普通何もなければ100%の翌日も生きているのです。

100楽しんで翌日ゼロもしくはマイナスになるぐらいなら、

100を60〜70ぐらいに抑えて、翌日は少なくとも50ぐらいの心持ちでいたい。

つまらない計算じみた考えかもしれませんが、僕がたどり着いた結論です。

 

精神のツマミをうまく調節して、楽しみの中にも自制あり!

何事も度を過ぎるのはよろしくありませんね。

ツマミ一つでああお酒が美味しい!もっと飲みたーい!

って違ーう!

ツマミ一つを上手に調節、

つつがなく平穏な日々を送っていこうではありませんか。

動くことは素晴らしい

「たまりみずや ふさりどぅすす」

という宮古島のことばがあります。

「溜まり水は腐れていく」

水たまりの水は、雑菌が増えて濁り、腐っていくが、

流れている水は、常に清らかで澄んでいる。

人間も、ひとつところに淀まず常に行動している方が

清らかな気持ちで前向きに生きられる、

ということの喩えだそうです。

流れる水があれば水車は回り続けるように、

エネルギーは移動し、影響し、保存される。

動くことは素晴らしいのです!

 

先日飛行機に乗ったときです。

隣に座っている男性が、スマホのゲームをやっているらしく、

両手の親指だけが激しく動いていました。

イヤホンをしているので音もなく静かなのですが、

何しろ指の動きが尋常じゃないのです。

隣で読書をしていた僕も、思わず二度見してしまったほどです。

その動きがひとたび気になってしまうと、もうなかなか本に集中できません。

多少の貧乏揺すりなら軽くスルーできても、超高速で激しく動く貧乏揺すりは、

どうしても気になってしまうのと同じ空気感でしょうか。

これほどまでに高速タップを要求するゲームソフトというものがあるのか。

(僕の知らないところで世の中はおそろしく進歩しているんだなぁ)

その動きはまた、滞りを知りませんでした。

限界を知らない脅威のスタミナで、とにかく動き続けています。

(指には乳酸はたまらないのだろうか)

本を読んでいる僕も、ゲームをしているその人も、

誰にも迷惑をかけていないという意味では、

かなり優秀なレベルだったと思います。

しかしその指の動きだけは、少なからず僕には、

視覚的に何らかの激しい主張をしているように思えてなりませんでした。

人間の目というのは、まっすぐ本の活字に向いていても、

隣の人の指の動きをもしっかりとその視界にとらえてしまうのですね。

人目を気にすることはなくても、人を気にする目にはなるのです。

窓側に座っていた僕は、もう完全に窓の方を向いてしまわないことには、

その指タップがどうにもこうにも視界に入ってきてしまって、

気になって本のページをめくれずにいたのです。

ああ、映画館のスクリーンを狭くするあのカーテンのように、

僕の視界を狭める幕のようなものがあれば...それさえあれば...

 

「動くとことは素晴らしい!」

 

その言葉、撤回してもいいでしょうか。

いいえ、それは間違いです。

悪いのは指タップのあの方ではありません。

「なんじ、己の集中力を鍛えなさい。」

声なき神の声が聞こえてきました。

 

ごもっとも!

それだけで万事うまくいきますね。

明日からは座禅の時間を増やしてもっと集中力を鍛えます、神様!

じっと動かずに。

(うごかんのかいっ!!)