ため息温暖化

下地イサム

ため息温暖化

たとえば70億匹のヤギだけしか住んでいない地球と、70億人の人間だけしか住んでいない地球では、大気が大きく違うような気がする。大気中の形而上的成分がまったく違うのではないかと。
責任や悩みや怒りなどとともに吐き出すため息のような空気と、嬉しさや楽しさや歓喜、興奮などとともに吐き出す空気、それらが大気中でブレンドされるのは、おそらく人間の世界だけだろう。それは室外機から出るモワッとした空気のように、澄み渡りに欠けた、精神成分過多の空気のような気がする。
一方ヤギたちは、苦悩や幸福などの概念のない世界で生きているはずだから、ストレスゼロとは言わないまでも、吐き出す空気は無邪気度97パーセントぐらいはあるだろう。責任や悩みや疑念や憎悪などの混ざらない、澄みきった空気で覆われている世界に違いない。ため息だけで地球温暖化になりそうなのは人類社会だ。

ヘッセの『幸福論』を読んだらこういうことが書いてあった。人生の中で一番幸福だったのは幼少の頃だった。おそらく世の大人たちのほとんどが幼い頃と答えるに違いない。なぜなら、幸福という概念が入り込む前の無邪気な魂で、毎日が楽しく輝いていたのはあの時だけだから。理性で考えるのではなく魂で感じるのが幸福なのだと。
なるほど、幸福の意味をわかったその瞬間から、真の幸福はもう訪れないということなのだろうか。明日も必ず楽しいと思えた日々の中で、ただ水面に石ころを投げ、何十回とその石ころが跳ね続けたとき、無邪気な魂で純度100パーセントの歓喜に包まれたあの時だ!
たしかに、あれはもう来ないな。