経験

下地イサム

経験

ある実験で、アフリカのジャングルに住む種族の人を地平線が見える大平原に連れて行ったという話があります。その人はどういう行動をとったかというと、遠くにある大木を、たった数歩だけ歩いて手で触ろうとしたらしいのです。つまりこの人は、生まれた時から密林の中で生活してきたために、遠くの景色を見たことが一度もなく、地平線ほどの距離になると遠近感がつかめないというのです。

 

また別の実験では、水槽の中に大きな魚を一匹入れ、中間ほどの高さに透明なガラス板を入れて水槽を仕切り、その上に小魚たちを入れると、その大きな魚は小魚に喰らいつこうとするのですが、そのたびに何度も透明なガラス板にぶつかってしまい、やがて捕食を諦めてしまいます。そのとき透明なガラス板を抜き取ると、もうこの大きな魚は、目の前を小魚たちが泳いでいるというのに、二度と喰いつこうとはしなくなるというのです。何度となくトライして叶わなかった経験というものが、魚とはいえ効いているのです。

そう考えると、経験というのは恐ろしいですね。

しかしこのジャングルの方は、密林の外にさえ出なければ今のままでいいのです。自分は経験不足だとか、未熟者だなどと思わずに一生を過ごすことができるでしょう。この大きなお魚さんだって、海の中にガラス板があるものですか。そんな経験を強いるのは余計なお世話ですよ博士。

 

逆に私たちにしてみると、密林地帯に行けば初めて経験するようなことばかりでしょう。砂漠地帯に住む人たちの生活などは想像もつきませんしね。

小学生に対して大学で習う勉強を教えても無理があるように、経験というのもまた、あまりに環境が違う場所の人に対して、同じような経験を求めるのも無理があるのでしょうね。

 

例えば今、地球以外に生命体が住んでいる惑星があるとして、そこに住んでいる者たちは、今の私たちの生活 プラス 私たちの生活とは全く違う次元の生活を両方経験しているとしたらどうでしょう。地上で生活している者もいれば、空中で生活している者もある。普通に車で移動する者もあれば「どこでもドア」のようなモノを使って瞬時に移動する者もある。とすると、この者たちは私たちに比べて相当経験豊富な者たちということになりますか。私たちが地域で経験豊富な長老と崇めるような人などは、この者たちの前ではまだまだ何も知らない未熟者ということかもしれませんよ。

つまりここでは次のような答えが導きだされるはずです。

時間と場所と生命力の制約から解放されれば、私たちの経験は無限大!ということではないでしょうか。

たとえば500万年くらい生きられれば、ありとあらゆる経験が可能ですよ。

生活文化や環境の違うありとあらゆる場所に行くことができれば、新しい経験が可能ですって。地球から月へ、火星へ、そして太陽系外の惑星へと移動しても生きられる生命力があれば、それこそ宇宙を旅しながら毎日新しい経験をすることができるんですって奥さん。

 

しかし私たちには、限られた時間、限られた場所、そして限られた経験をすることしか与えられていないのです。そのことが意味するものはいったい何なのでしょう?

朝から晩まで畑を耕す人がいて、くる日もくる日も魚を捕りにいく人がいます。

そういう人たちがいないと、少なくとも今の交換経済を主軸とする私たちの人間社会というものは成り立たないんですよね。

その方たちは、世の中のありとあらゆることを経験していなくても、その道に関しては超スペシャリスト!経験豊富ですよ。

「経験豊富」とは、あれもこれもと新しい経験をすることではなく、一つのものをより深く、その道においては誰よりもいろいろなことを経験して知っているということなのかもしれませんよ旦那。

 

ということで、スノーボードに、スカイダイビングに、スマートフォン、すし職人、水晶玉占い、すいか栽培...

適当に「す」からはじまるものを挙げてみてさえこれだけのものが、いやいやまだまだ多くのものがねー、未経験なんですよ先生。

どうするもこうするもないでしょ。

もう寝るしかないですよ兄貴。

おやすみなさい。