東京に住んでいました

下地イサム

東京に住んでいました

先日、7年ぶりに首都圏に大雪が降ったというニュースを見て、

大都会の積雪は大変だなぁと、

あの頃を思い出しながら感じていました。

僕が東京の専門学校に入学するために上京した25年前です。

確か1988年の春でした

4月だというのに、関東に歴史的と言われる大雪が降っていました。

東急東横線沿線の学生寮から最寄の駅まで、

僕はカメにも負けないぐらいののろさで歩く羽目になってしまいました。

凍結した歩道と、宮古島で買ってきたばかりの革靴との相性が、

史上最悪だったのです。ベストミスマッチ。(そんな言葉ある?)

新品の革靴はまるでスケートシューズでした。

 

寮を出る直前までは、僕の胸は高らかに躍っていました。

都会での新生活がスタートした嬉しさと、

生まれて初めて見る生の雪景色への感動とで、

今すぐにでもスキップしたい気持ちでいっぱいだったのです。

しかしスキップはそのあとスリップへと予定変更になりました。

スリップ、転倒、スリップ、転倒、リピート  アフター ミー。

僕は生まれてからただの一度も、

こんなに滑る場所に身をおいた経験がありませんでした。

オウ マイ ステップ!

宮古島で生まれてからその日まで、

歩くためには一度も使ったことのない筋肉を使いました。

歩くというだけのために、これほどまで慎重に着地点を気にしたこともありません。

歩きとはバランス、前に進むとは集中力だということを学びました。

内地の冬の厳しさを身を持って知らされた、数え年19の春です。

 

そしてやっとのことで辿り着いた駅のホーム。

電車は僕が想像していた乗り物とはまったく違うものに見えました。

天井部分にすき間がある以外は、すべて人で埋め尽くされていました。

僕は乗客ですし詰めになった車両に乗り込む勇気がなくて、

次の電車、また次の電車、またまた次の電車と、何本もやり過ごしたのですが、

いっこうに満員ではない電車が来ないので、

遅刻への焦りもどんどん募ってきて、ついに覚悟を決めたのです。

島で魚の群れを追い込んでいたときよりも猛然と、

必死の形相で人混みの車両へと押し入って行きました。

旧知の間柄でさえめったに肌になど触れないというのに、

赤の他人の肌にこんなにも密着していいのかと、

かぞえ年19の僕は戸惑っていました。

電車が駅に止まるたびに、乗客の波に押されたり戻されたりして、

まったく抵抗できない自分にショックを受けながら、

あとはもう持っている鞄が手から離れていかないように、

指先に力を込めることぐらいしかできませんでした。

今日受けたショックは、明日にはもうショックではなくなっているのかと思うと、

それがまたショックでした。

 

肌をくっ付け合っている大勢の乗客たちは、

こんなにも息苦しい人混みの中に身をおきながら、

自分の中にあるやる気や生き甲斐みたいなものと、

外の世界にある何かしら気力を削ぎ落とすようなものとの狭間で、

もがきながら毎日を生きているのかなという気がしました。

上京してきたことを頭の中では理解しているつもりでしたが、

島にはもういないということ、東京に住んでいるということを、

身体の方が遅れて今やっとそれを受け入れたのだと感じました。

都会の厳しさを肌で感じた瞬間です。

そう、肌で。