おいしいコーヒーとフィッツジェラルド
みなさん、お元気でしょうか。
仕事の合間を縫ってずっと小説に読み耽っていたら1月ももう終わろうとしていますね。(月単位で束になって時というのは過ぎてゆくものなのだなぁ)
読書は読書でも仕事の合間というのが僕らの現実ですね。森の小屋のそばにある木の枝にハンモックを吊るして、過ぎゆく時間など気にせずにのんびりと、なんていうのは夢の夢ですよ(笑)。
でもいつかは。 ふほほ。
スコット・フィッツジェラルドの「冬の夢」という短編集を読みました。
その中の表題作「冬の夢」は、あの世紀の名作「グレート・ギャッツビー」につながる下書きのような雰囲気のストーリーですが、これが実に素晴らしかった。
「語れば失われる」と誰かが言ったみたいですが、まさに僕の陳腐な言葉で感想を述べれば、その美しさはたちまち失われてしまいそうです。
僕は一度読んだ本をもう一度読むということはあまりしませんが、この本は2回読みました。2回目はもっと時間をかけてゆっくり読みました。そして気に入った箇所はさらに時間をかけて何度も読み返しました。読めば読むほど気に入った箇所が増えていくので困りました(笑)。結局どのページをめくっても感動することがわかりました。村上春樹の翻訳がまたいいですね。
変な言い方かも知れませんが、もし僕が小説家を目指す人間だったとしたら、
どんなにがんばっても「このようには絶対に書けない」という結論に至ったはずです。
「感じないものは書けない」ということですね。
たとえ広辞苑の語彙が全部僕の中に入っていて、いつでも適切な言葉を取り出せる力が備わっているとしてもです。
感じきれない世界を書くことはできません。
完全なる敗北です。(っておいおい、何を言ってるんだ僕は。身の程知らずも甚だしい)
とまあ、そのくらい素晴らしい小説だってことです。
「考えるな、感じろ!」
ブルース・リーの名言はここでも生きていました。(フィッツジェラルドの方が先輩ですが)
偉大な人たちは「感じ方」が人並み外れているのです。
そしてフィッツジェラルドに関して言えば、そうやって感じた世界を、
考える世界へといとも簡単に持ち込み、
世界に二つとないような表現力で伝えることができているのです。
美しさの中にある哀しみ、哀しみの中にある美しさ。
もうこの世界がたまらないです。
僕にできることと言ったら、限られた生涯の中でできるだけこのような小説と出会って、
できるだけおいしいコーヒーを飲みながら、
できるだけ静かな場所で、
じっくりと読むことぐらいです。
しかし何かに追われていてそれさえもなかなか叶わないというのが現実ですけど(笑)。
おいしいコーヒーとフィッツジェラルドは、
僕の中では最高の組み合わせになりました。