動くことは素晴らしい

下地イサム

動くことは素晴らしい

「たまりみずや ふさりどぅすす」

という宮古島のことばがあります。

「溜まり水は腐れていく」

水たまりの水は、雑菌が増えて濁り、腐っていくが、

流れている水は、常に清らかで澄んでいる。

人間も、ひとつところに淀まず常に行動している方が

清らかな気持ちで前向きに生きられる、

ということの喩えだそうです。

流れる水があれば水車は回り続けるように、

エネルギーは移動し、影響し、保存される。

動くことは素晴らしいのです!

 

先日飛行機に乗ったときです。

隣に座っている男性が、スマホのゲームをやっているらしく、

両手の親指だけが激しく動いていました。

イヤホンをしているので音もなく静かなのですが、

何しろ指の動きが尋常じゃないのです。

隣で読書をしていた僕も、思わず二度見してしまったほどです。

その動きがひとたび気になってしまうと、もうなかなか本に集中できません。

多少の貧乏揺すりなら軽くスルーできても、超高速で激しく動く貧乏揺すりは、

どうしても気になってしまうのと同じ空気感でしょうか。

これほどまでに高速タップを要求するゲームソフトというものがあるのか。

(僕の知らないところで世の中はおそろしく進歩しているんだなぁ)

その動きはまた、滞りを知りませんでした。

限界を知らない脅威のスタミナで、とにかく動き続けています。

(指には乳酸はたまらないのだろうか)

本を読んでいる僕も、ゲームをしているその人も、

誰にも迷惑をかけていないという意味では、

かなり優秀なレベルだったと思います。

しかしその指の動きだけは、少なからず僕には、

視覚的に何らかの激しい主張をしているように思えてなりませんでした。

人間の目というのは、まっすぐ本の活字に向いていても、

隣の人の指の動きをもしっかりとその視界にとらえてしまうのですね。

人目を気にすることはなくても、人を気にする目にはなるのです。

窓側に座っていた僕は、もう完全に窓の方を向いてしまわないことには、

その指タップがどうにもこうにも視界に入ってきてしまって、

気になって本のページをめくれずにいたのです。

ああ、映画館のスクリーンを狭くするあのカーテンのように、

僕の視界を狭める幕のようなものがあれば...それさえあれば...

 

「動くとことは素晴らしい!」

 

その言葉、撤回してもいいでしょうか。

いいえ、それは間違いです。

悪いのは指タップのあの方ではありません。

「なんじ、己の集中力を鍛えなさい。」

声なき神の声が聞こえてきました。

 

ごもっとも!

それだけで万事うまくいきますね。

明日からは座禅の時間を増やしてもっと集中力を鍛えます、神様!

じっと動かずに。

(うごかんのかいっ!!)