リセットボタン

下地イサム

リセットボタン

元の状態に戻そうとするときの動きには、何か並々ならぬものを背負わなればいけないような気がする。

タバコを吸っている人が、タバコを吸っていなかった状態に戻りたいと思うとき、タバコを吸わないでいるという状態をキープするしかない。最初は我慢が必要だがやがてそれもなくなり、元の状態に戻ったような気持ちになる。だが完全にタバコを吸ったことのなかった状態に戻ることはできない。吸ったという経験と記憶を背負わなければならない。身体が覚えてしまった感覚は、蓋をしておくことはできても完全に消すことはできない。だからもう一度タバコを吸った時に、その蓋が開かないという保証はない、という危うさをも同時に背負うことになる。タバコを吸ったことのない人はその「背負っているもの」がゼロなのだ。それは考えようによっては、並々ならぬもののように思えてならない。並々ならぬものを背負いながら並々ならぬ禁煙生活を乗り切らなければならないとは、並々半端ならない。

たとえば衣類にしても、一度でも汗や汚れを吸い込んでしまったら、洗濯してキレイな状態に戻すことはできても、完全に買った時の状態に戻すことはできない。それでいてキレイになるためには、洗濯機の中で洗剤にまみれて揉みくちゃにされなければならない。たとえ人の手で洗われたとしても、身もよじれるほどゴシゴシ擦られ、絞られなければ元のキレイな状態には近づかないだろう。

元の状態に戻ろうとする動きには、やはり並々ならぬものを経なければならないのだ。

簡単にリセットボタンを押せるゲームのようなものは、考えようによっては非常にヤバい。並々ならぬものを背負ってなどいない。いとも簡単にゲームを始める前の状態に戻ることができる。死んだ者さえ生き返ってしまう。そのような背負うもののないリセットボタンをためらいもなく押していいものだろうか?もしかしたら人生のどこかに並々ならぬものを溜め込んでしまってはいないか、と心配並々ならない。ボタンを押すとき、やはり私達は今一度並々ならぬものを背負う覚悟を持たなければならないのではないか。

ああ、もうこれ以上リセットボタンを押すのはイヤだ!

ゲームができない人間の、
本当に回りくどい、ひがみ満載の言い訳でした。
申し訳並々ならない。