この道

下地イサム

この道

最近は寝る前のジョギングにハマっています。変な凝り性が現れてきました。奥田英朗の『イン・ザ・プール』の世界に近づいている気がします。
昔よく通った道なんかを懐かしい気分に浸りながら走ってみたり。お気に入りの並木道はまるで木のトンネル。最高な気分に浸ることができるので、いつからかそこを通ることが目的みたいになってしまっています。

考えてみると道というのは、何かの目的を果たすために通るもので、道そのものが目的化することはないですよね。小学校に通った道は小学校を卒業すると通らなくなるように。
命が通った証し、誰にでも自分だけの道の歴史がありますね。でもそれはあくまでも果たされた目的に付随する副次的な価値のもの。でありながらもしその道がなかったら学校に通うという目的は達成されなかったのです。ああ、なんて素敵でさりげない存在。「この道はいつか来た道 ああ そうだよ あかしやの花が咲いてる」北原白秋のこの詞の世界です。あかしやの花を見ることでこの道を思い出す。道というのは主ではなくあくまで二次的な存在というのを道端のあかしやの花で表現しています。(自分勝手な解釈ですが)
そして僕は今、道そのものを目的にしようとしています。その道へと続く道たちをゆっくりとしたペースで走って行きます。目的となったこの道は僕の中で副次的ではなくなるのです。歴史が変わろうとしています。ジョギングをしていなければそんなことは起きませんでした。歴史の大転換点に立ち会えた皆様、おめでとうございます。
今日も寝る前にこの道を走ることができて幸せこの上ありません(笑)おやすみなさい。