ひとり日記「旅の途中」

下地イサム

ひとり日記「旅の途中」

大都会の渋谷道玄坂から伊豆の下田に移動して来た。
仕事柄なのかもしれないが、日々の環境の激変ぶりには慣れていたつもりでも、今更ながら驚かされることが多い。それこそがまた旅の醍醐味なのかもしれないとも思わされるのだが。
人混みやクラクションの喧騒の中から一変して、今日は鈴虫とコオロギが鳴く秋の風情満載の下田にいるのだ。街は驚くほど静かで、涼しい風がしだれ柳の枝をそよがせている。夜は早い時間から灯りが消えている民家は、素朴さと健全な暮らしを感じさせてくれる。予定調和を外しにかかる現実これいかに!何とも稀代の感覚のようにも思えてくる。
ライブがある日とない日、ただそれだけでも変化に富んだ毎日だと思っていたのに、それは単なる僕の思い違いだったのかもしれない。沢木耕太郎の「深夜特急」を読んでいるとそう思わされる。毎日が面白いほど予期せぬ出来事の連続。これがノンフィクションだから驚かされる。明日のことを予定しない動きのみが招くアドリブの世界なのかも知れない。それに比べると僕の日々の変化は、あくまでもスケジュールにのっとった予期出来る変化にすぎない。それは考えようによっては、まったく普通の日々ともとれる。比べるものがあるというのは自分を見つめ直す機会を与えてくれるからいいものだ。
明日がどうなるかわからないという、スケジュール帳と無縁の人生はいろいろなリスクをはらんでいるとは言え、それを超えるぐらいの憧れをも携えている。映画「男はつらいよ」の寅さんが、風天の人生でありながら大衆に愛されたということ、多分そういうことなのだろう。
さあ、明日もちゃんと予定があるぞ!