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下地イサム

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星の王子さまと古舘伊知郎

ずいぶん昔、子どもの頃に読んだ『星の王子さま』を今日もう一度読み返してみました(本そのものは別のものですけど)。他にも同時進行で読んでいる本が3冊もあるのですが(笑)、部屋の楽譜なんかを整理していたら目の前にポンと、まるで読んで下さいとでもいうように出てきたものだから、現在進行中の本たちは後回しにして、ページをめくってみました。

もうね、素晴らしいの一言に尽きます。
子供向けの本だとばかり思っていたのですが、これは大人へ向けて書かれた本ですね。というよりあの頃子供だった大人が読むべき本と言った方がいいのかも。壮大で奥深いメッセージが込められているなと感じました。それにしても何一つ直截的ではないのです。説明を用いない説明書は理解できませんが、説明的でない文章表現というのは(もちろん伝え方によりますが)、理解を飛び越えて伝わるものですね。
ああ、こんなふうに素敵な文章が書けたらいいなぁ。
いえ、文章というより感性、世界観ですね。文章から想像する印象的世界。それが読者に向けて(それぞれ本当に一人ひとりの読者に向けて)無限大のものを秘めているという感じがしました。
語らないで語る。
心の奥底にジワーっと、慰めてくれるように優しく押し寄せてくるものがありました。

そしてつい先ほど金スマのゲストとして出演していた古舘伊知郎さんが、番組最後に放った5分間の魂の喋り、これは凄かった!
語るという気合で語る。これまた対極にある世界なのに、これ以上ないという言葉の力。伝わりました。

そして不思議だったのが、語りの中身が『星の王子さま』と同じだったのです。双方に共通する言葉は一つもなかったにもかかわらず、同じことを伝えようとしているなというのが、スッと入って来ました。
伝える力というのは伝える側にかかっているのかもしれませんが、伝え方というのは星の数ほどあるのですね。読んで良かった。
今日は星を眺めて眠りにつきます(笑)。

サキシマ バンドリハ

今日は真夏に戻ったような暑さでした。本当に暑かった。北海道では雪が降ったというのに、この差はなんなんでしょうね。今テレビをつけたら鳥取で大きな地震があったとのこと。余震も続いていると言っています。被害の無いことを祈ります。
さて、明日は宜野座祭りです。今日はそのリハをして来ました。サキシマでは初めての出演になります。たくさんの皆さんのお越しをお待ちしています。

呼吸のような世界

今日は久しぶりに湯船につかりました。まだまだ暑い沖縄は、毎日がシャワーの日々ですけどね。
ところで湯船に首までつかると、水圧で肺が多少圧迫されるため、呼吸が少しだけ重くなります。そのせいでというか、そういうことでもないと呼吸というものをほとんど意識しないものです。ということで僕はしばらく深呼吸をしながら「呼吸」について考えてみました。
呼吸というのは、考えてみると不思議なものです。すぐ目の前で行われているのに、意識しない(させられない)、それでいて呼吸をしなかったら死んでしまうという、生きるために絶対に必要な動作なのです。呼吸によって人間は細胞内に酸素を供給することができています。生きるためにまずこれがないと!というぐらい一番重要な働きでありながら、がんばって働いていることを全く感じさせない、さりげない(無意識の)動きなのです。
では逆に人が呼吸を意識するときというのはどういうときでしょう?水に潜るときや深呼吸をするときのように、平常時の呼吸のリズムを変更しようとする時です。そのときに無意識の世界から意識的な世界にスイッチが切り替わります。しかしそれは長続きしません。一生深呼吸で生き続けることはできないし、当然のことながら息を止めても生きることができない。長続きさせようと思ったら、平常時のリズム(無意識の世界)に戻らなくてはいけないのです。ま、放っておけば自ずとそうなるのですけど。呼吸のメカニズムというのは何か万物に通づる普遍的な法則を隠し持っているような気がします。もしかしたら大事なものであればあるほど、あまり意識しない方がより長く継続できるということなのかもしれません。何かを大事にあたため続けたいと思う人は、そのことに対して関心を失くしてはいけないけれど、あまりに熱が入り過ぎて猛進(妄信)するというのもよくないのかも。あるいは好きだからこそ無意識の領域にそれを持ち込むことができて、淡々と行い続けるという境地に到達できるのかもしれない。などと、とりとめもないことを考えているうちに完全にのぼせてしまいました(笑)。

たとえば僕の大好きな歌(音楽)があります。いろいろある中で、幼いころの思い出とセットになっている歌というのがあります。この歌を聴くとあの頃を思い出すというような。歌そのものも好きですが、あの頃の思い出がその歌によって甦ってくる感覚が好きなのです。僕はある時期あまりにそれに浸り過ぎて毎日聴いていました。すると、それから時が経ったある時点でその歌をあらてめて聴いてみたとき、思い出が書き換えられていることに気づきました。最初に甦っていた思い出ではなく、その思い出を甦らせるために毎日聴いていた日々に上書きされていたのです。それは僕にとって少し寂しい出来事でした。大事にあたためていたかったのに、その甦る思い出によって得られたあの懐かしい感覚が、ノスタルジックな雰囲気が、自分だけのかけがえのない世界が、(全部というわけではないけれど)失われていました。悲しいことに元の思い出そのものも色褪せてしまったような気持ちになりました。何かを大事にあたため続けたいと思うなら、呼吸のようなバランス、距離感が必要だったのかもしれません。いつでも引き出しを開ければ自由に意識的な世界を楽しませてもらえるけれど、熱が入り過ぎる前にさりげなく無意識の世界に戻っているというその感じ。僕の父が毎日ヤギにあげる草を刈りにいくように、同じ量で同じリズム、妄信でも無関心でもないバランス。それは素敵な呼吸のような世界。さあ呼吸しましょう。
って、してるか(笑)。
なるほど生きている人みんなが持っている世界なんだ!